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 毘沙門天五箇条


我が毘沙門天では、
【毘沙門天五箇条】を
念頭し稽古に励みます。

①心身を錬磨し、自身の
武道空手を確立する事。

②不易流行で稽古に取り組む事。

③敬神崇祖し、感謝の気持ち
を忘れない事。

④武道の精神を育み、現代の
【侍】を目指す事。

⑤毘沙門天の名に恥じぬ生き方を
追求する事。


 武道とは何か


様々な武術、武道の団体や道場が有り
各団体・道場毎に武道に対する定義や
考えはあるかと存じます。

ここでは我が毘沙門天としての
武道の定義を述べたいと思います。

武道の前身として
【武術】が有ります。

日本にも過去には戦(いくさ)の
時代、全国津々浦々、戦いの場が
ありました。そこでは勝つ為に
生きる為に方法や手段を選ばない
価値観、徹底的な現実主義。

それが武術の現実だったのでは
と考察します。

読んで字の如く、武の術(すべ)
なのでしょう。

武道は戦(いくさ)の無くなった
時代から倫理感や道徳観、規律など
に重きを置き、人としての在るべき
【道】という概念を加えたものだと
考えます。

現代で生きる日本人としては、
武術より武道としての価値観で、
【道】という概念を以て、
武に対して携わるべきだと考えます。

我が毘沙門天は【武道空手】を
標榜しています。
武術から【武道】へと
変遷した空手です。

現代では武道というキーワード
は古臭く感じるかも知れません。

しかし武道を始め、茶道・華道
・書道など日本の礼節や
慎ましさ、所作等の日本の
文化が諸外国からも尊敬されて
いるのだと思います。

海外に行くと侍(サムライ)を
知らない人はいませんし、
侍とは?  侍に対し強い関心を
持たれています。

侍とは? 日本人とはこうあって
欲しいという願望と敬意が
感じられます。

現代の日本に欠けてしまった
のは、この武道における
【武道の精神】が無くなってきて
いるのも日本人が弱くなって
いる一因であると考えます。

毘沙門天は【武道空手】を通じて、
心身を鍛錬していきます🥋



 現代の侍を目指す


現代社会では日本人の心身の
弱体化・形骸化が進んでいると
感じます。

物質的には恵まれて様々な
便利なモノや選択肢が有り、
一見恵まれている様に感じますが、

精神的な部分では、何か閉塞感
に満ち溢れ、年々と住みにくい
世の中になってしまっていると
感じている人も多いのでは
無いでしょうか。

寛容さやのんびりした、
古き良き雰囲気が無くなって
きている気がします。

現代人は物事に取り組む時
や何か達成しようとする時は、

足し算的な思考で取り組む事が
多いのではないでしょうか。

例えばスポーツや格闘技の世界でも
筋肉をつける、サプリメントを
とる等の足し算的発想。
それが悪い事だとは思いませんが、

優先順位はもっと他に
あるのではないでしょうか。

日々の生活で気付かずに少しずつ
生じている、体の歪み、姿勢の悪さ、
呼吸や歩き方、非効率な身体の使い方
などの悪い部分を抽出してそれらを

引き算して解消する、何かを足して
進むのではなく、無駄なものを
引き算して進めて行く事が大切だと
考えます。現代人は多くの事に
対して足し算的な思考で
取り組んでいる人が多いと感じます。

武道では引き算的な発想で
取り組む事が多いです。
引き算的な取り組みの方が
心技体の向上に繋がるからです。

明治維新以降、良くも悪くも
外国の文化を取り入れ、更には
戦後にそれらに拍車が掛かり、

日本人が持つ本来の心身の文化が
弱体化・形骸化してしまい、
それらが積もりに積もって、
現代の社会構造にも繋がり、
人や社会が弱くなってしまった
のだと感じます。

現代の日本・日本人を先人達が
見たらどう思うでしょうか?

このままでは、ご先祖さまに
申し訳が立ちません。

日本・日本人として誇れる文化や
精神性・身体がかつては有りました。

日本と日本人に誇りを
呼び戻す為に我が毘沙門天では
【武道】を通じて微力ながら
貢献して行く所存です。

現代を生きる日本人に対して、
【日本人力復活】という事を
一つのテーマに掲げ、

【武道】が日本人に元気と活力を
もたらすと信じています。

毘沙門天は、
現代に生きる【侍】を目指す。

そんな場所であれたらと
思う次第です🥋

                           
                          毘沙門天代表師範より





福岡県の武道空手・柔術・護身術🥋

       - 闘う武人の會 -         

    毘 沙 門 天

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